自分の感受性くらい
- YUUKO MORIUCHI

- 2025年9月14日
- 読了時間: 2分
更新日:2025年11月4日

昨晩は、となり町のお寺の坊守マダムと一緒に、夜に初めて開店されたドーナツ屋さんへお連れいただきました。
シナモンドーナツにアイスクリームを添えていただくと、ほっとする甘さに心もゆるみます。ごちそうさまでした。
それでもこの頃、仕事のあとに、運動をしても、学生さんや友人と熱く語り、楽しく過ごしても、なぜか心が晴れないことが続いています。健康で、家も仕事もあるのにどういうことなのでしょうか。友人に再びラインでこぼすと、「50代はそんなものよ」と返ってきました。確かに、何事にも経験値もあって、感動が少しずつ、薄くなっているのかもしれません。感謝が足りない。いけませんね。
あるときから
田中角榮さんの言葉を耳にすると、「ああ、こういう人に会ってみたい」と胸が熱くなりました。人が慕う、大変魅力的なリーダーです。って、あれもAIで作ってる?!しらんけどね。
とはいえ、鳥の声や風の音、ご門徒さんとのやりとりなど、季節や人との交流でお寺での小さな日々の幸せもあります。
夜はエプソムソルトなどの入浴剤の効果をかりてゆっくり温まり、今夜は親鸞聖人の話ではなく、YouTubemusicで波の音やAudibleの朗読に耳を傾けると、「人間、そんなものだな」と自然と笑えてきます。
☆やることは、たまってますけどね
そんな折に思い出したのが、茨木のり子さんの詩『自分の感受性くらい』。
中、高校生の授業でも教材に使っていました。10代に戦争を経験された、戦後の現代詩。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
心の水やりは、誰でもなく自分自身がしていくもの。そう気づかされ、また今朝は新しい一日を迎えています。





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