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回り道のあとに、原点へ…

  • 執筆者の写真: YUUKO MORIUCHI
    YUUKO MORIUCHI
  • 2025年12月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月16日

画像生成AIであっという間に出来上がる。すごい時代
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土台や基礎、すなわち物事の見方や考え方が確立していなければ、その上に築く人生の所有物は決して安定しない。人には、変わらない(普遍的な)基準となるものの見方が必要である。

世の中には、互いに支え合いながら暮らす地域社会がある一方で、周囲の影響を強く受け続け、長く自己の軸(考えること)を見失ってしまう人もいる。そうした在り方に、問いを持ちつつも、私自身が「理解しよう」と心を寄せることはもうやめようと思う。時代の流れで寄る辺を失った人たちの不安が噂や分断を生み、人間関係を揺らがせてしまう。たとえそれが人間社会に常に見られる一面であっても、意図的に他者を貶めたり、対立を煽る関係性の中では、建設的に未来を築くことはやはり難しい。

仏陀はいう、

善き友がいないとしたら、そのときは、

「🦏の角のように一人歩め」と。その言葉はとくにこの暮れ頃こころにささった。


迷いと共に生きることは仏道ではなく、凡夫である以上無理に関わり続ければ自身の心を疲弊させ、大切な縁を乱してしまう。絡まった関係を解きほぐそうとするうちに、本来の目的である「仏の教えを伝える寺を遺す」という志を見失う危険を痛感した。

情報や認識の差異は、取り巻く人間関係によって生まれるため、すぐに埋まるものではない。人が変わるのは、その人自身のタイミングでしかない。


私はつくづく不完全な凡夫だからこそ、まず自らが救われていなければどうにもならない。念仏を称えながらその不完全さ(分別して生きる生き方)を自覚し、ご縁の中で、私を、「無駄にとらわれさせるもの」からは離れ、常に軌道修正し続け、静かに役割を果たしていこう。

流される人の声よりも、お寺がどう在り続けたいかを静かに第一に据え、不完全な者(わたし)ながら、「自灯明・法灯明」のもと、阿弥陀如来に合掌する人生の力を得て歩む。


 
 
 
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