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YUUKO MORIUCHI

直感           ~慚愧のこころ~

更新日:11月20日



女性の勘は鋭いといいますがどうなのでしょうか。

人によるでしょうか、思い込みでしょうか。前時代の話でしょうか。


第一印象は当たるのかどうかとか。


私は自分にとっての「正解」としてなら当たるように思います。第一印象でピンときた人とは、大抵良い意味で長いお付き合いになっています。その人から新たなご縁がまた繋がったりと。

これは、誰にでも共通したことかな。


直感を働かせるためや、違和感を外すには、日頃から誠実であるや、善行を積んでおくのが良いそうです。確か、数学者の岡潔先生がご著書のなかで書かれていた…気がします。すみませんこれは確認します


この話は何かヘンだな、や、何だか関わると危なそう、ということが、感覚的なものをふくめ総合的判断から気づきやすくなるそうです。


子供の頃から、

たとえ一時は損をしたように思えた選択でも、善行を常に選択する人たちのそばで暮らせたとしたら、日常生活のなかで、肌感覚から危険を察知する直感が身につくのかもしれませんね。


となると、大人たちの行動にこそ責任がある。厳しいですが。厳しいです…


「さるべき業縁のもよおさばいかなる振るまいをもすべし」と、親鸞聖人の語録がのこるように、人(凡夫)は、ご縁によれば、普段では選択しないような間違いを犯す可能性があるといいます。


そして、そのような凡夫が間違いをおかしたときには、

人として、救われ生きていける道があると、軌道修正ができるきっかけとなる心があるという話が経典には説かれています。


『涅槃経』という経典には

人を助ける、救うための白法が二つあると説かれていて、それを親鸞聖人はご著書『顕浄土真実教行証文類』の信巻のなかで次のように引用されています。


一つには慚、二つには愧なり。慚とは自ら罪を作らず、愧とは他を教えて作らせしめず。慚とは内自ら羞恥し、愧とは発露して人に向う。慚とは人に羞はじ、愧とは天に羞づ。これを慚愧と名く。慚愧無き者には、名けて人と為さず、名けて畜生と為す。













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