機の深信YUUKO MORIUCHI10月31日読了時間: 1分更新日:6 日前冨生の松親鸞聖人は、既に救われたお念仏者として、亡くなる直前まで、常に自己内観をされた方でした。それは和讃を読めばよく伝わります。機(教えを受ける受け手)の深信のお強い方でした。お念仏を、阿弥陀如来のはたらきであると受け止められて、既に救われていながらも(気づかされていながらも)、煩悩具足の凡夫として、我が心を常に観て、常に行くべき方向(浄土)を確認されているように思います。#森内優子
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