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語る勇気、黙する知恵

  • 執筆者の写真: YUUKO MORIUCHI
    YUUKO MORIUCHI
  • 4月18日
  • 読了時間: 2分

更新日:7 時間前

立場が異なれば、見える景色や感想も当然ながら変わってきます。比較的若い首長さんとなった方々のSNSを眺めていると、そのご苦労が垣間見えることがあります。


不要とも思える足の引っ張り合いが目につくことや、やり方を指摘した際に「士気を下げる言い方をするな」と非難される場面もあるようです。しかし、公に選ばれた方であればとくに成果を上げるためには、問題を提起し、改善を目指すことが欠かせません。


以下、ちょっと凡夫の愚痴となりますが


私自身、「餅は餅屋」なわけで、未来を見据えた運営を心がけています。そのため、後になって、しかも数年後に遅れた提案をされた際には、内心「だから……、その必要性を以前から言ってます。」と強く言いたくなることもあります。いや、はっきり言って、協力もせず、書かないけれど腹のたつこともあり…

全てが遅すぎる。

しかし、感情的になってはいけないと思い、「そうですね」と受け止める姿勢を選びます。とはいえ、感情が表に出そうになったり、もしかしたら、笑顔でいながらもイラっとしていることが伝わっているのかもしれません。

周囲に考えを提案させて頂く際、それが批判と受け取られることや、予期せぬ誤解を生むのではないかと思うことがあり、無駄な軋轢を避けるためにあえて「話さないほうが賢明」と思うこともあります。それでも、お寺であるからと、「共に」とか「和を大切」に、と、最終的には説明します。ただ、それがやはり余計なことだったか…と思える日もあるのは事実です。


この辺りの加減が難しい…


次世代にお寺を遺すため、それは特に「仏法が説かれる場所」として子供たちの学びの場となるようにとそれを第一義と考えています。しかし、地元の子供たちが訪れることはほとんどなく…。おそらくその必要性が、若い親御さんたちにも届いていないのだと思います。こちらも発信不足です。維持にばかり今は注力しているから。宗門学校のように適切なタイミングで届ける機会があればなぁ…と、それも悩みのひとつです。

お参り先で、子供が興味をもっているのは分かります。



外から人生の経験値の高い大人の方がたまに訪れ、「凡夫」の救い(気付き)の話について深めてそれをまた喜んでくださることには有難いことです。けれどもやはり、仏教を子供たちに届けたいとの思いが私は強い。学ぶことに意味があるから。主体的に、この不条理な世の中を矛盾も含め受け止めつつ、課題を見つけ、その解決と進む力を得続けられる。


今年はその辺りも含め、練らないとな。



精進、精進。



 
 
 

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