江戸時代の宮大工さんは、西方極楽浄土に向かって礼拝することを意識して、本堂を建てておられます。
浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来を真西に安置し、お参りする人々が、西を向いて合掌礼拝できるように。よって、山門は東側です。
朝6時、日差しがまっすぐに本堂に入ります。人の闇のこころに仏の光が差しこむようで、こころ洗われる感じがします。
昔の建造物は、未来に何を「伝え」遺すかを考え、長くあり続けられるよう建てられています。
職人さんにとっても、意義あるものを次世代まで遺せるよう意識しながら建てることは、至極当然のことだったのでしょうね。
何事も、今さえ、目先さえよければいいという発想は、人のこころを消耗させます。
いつかわたしが死んでも、その先に、未来に生きる我々の子孫のために価値あるものを遺せるよう考えて動きたいものです。
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