釈迦は悟りました。
この世は諸行無常。
刻々とすべては変化し続ける。
これこそこの世の道理で、真理。
変わりたくないは、この世の道理からすれば成り立たない。変化に対応して生きていくしかないのです🍀
仏教の本質は
先祖供養ではありません。
諸行無常に始まる縁起観を体得することです。
ただ、この末法時代に体得できる者も、悟れる者もおりませんが。
釈迦も親鸞聖人も高名な僧侶は先祖供養をされたことはありません。先祖供養は、一般的に、今を生きる我々が心の拠り所を求める形でお勤めしています。先祖供養は不安や苦悩を生きる人間にとっては、疎かにはできない儀礼となっていることは確かです。浄土真宗では、亡き方(死の事実を受け止める)に手を合わすご縁を通して、命ある我々が仏の教え(真の幸せ)に出遇い、究極の救われる道、お念仏の教えを慶ぶという讃嘆の形です。
浄土真宗のお彼岸法要も、すべての法要は同じ意味をもちます。
どこまでいっても自己中心的なものの見方から離れられず、迷い多き私たちが、今一度、仏の教えを聞かせていただき、この「生」を問い、真の生き方を確認させていただくお勤めです。
また、親鸞聖人は、迷信俗信を信じることを常に嘆いておられました。因果関係のないものを頼りにし、不安に迷ってしまうのは死者に原因があるのではなく、生きている人間側の問題なのです。
今年は親鸞聖人ご誕生850年、並びに立教開宗800年の年です。今一度、門徒であれば、仏教、お念仏の教えに立ち返りたいものでございます。
最近は、常にそれをお伝えしていることもあって、仏の教えの内実に手を合わす方も増えて参りました。大変有難いことです。私も亡き父や先祖を通して、真如に手を合わせる機会をまた得て、日々導かれる(気づかされる)ことを実感いたします。
南無阿弥陀仏
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