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疑心と信心

YUUKO MORIUCHI

更新日:1月9日

煩悩の一つ、仏の智恵を疑う心、疑心。まことの信心は、

凡夫(人)にはないとみて、阿弥陀如来より廻向されるものと親鸞聖人は読みこまれました。

信じる心も仏と比較すれば不完全であると厳しく見つめられた親鸞聖人。


以前私は「覚悟したといえども、揺らいでしまうこともあるのが人の心。」と法話で話したら、

先輩住職に、「そこは、私の心だと言わないといけない。」とお叱りを受けました。そうでした。法話は、一般論として話しちゃいけませんね。お念仏を味わう者の話し方、他人事ではいけません、常に自分事です。気を付けます。


週末は、女性ばかりの報恩講。

これまで「女性」として、「女性」について、ほぼジェンダーは意識してなかった気がします。「人」という話ばかりしていましたね。

当然ながら、女性も色んなタイプがいて、世代によっても、そだった環境によっても、教育によってもかなり価値観が違います。


何をは話そうか


あ、テーマを提出しておりました

「縁起に生きる」だ






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