親鸞聖人が、仏教の「縁起の道理」.からいえば、占いや祈祷、厄年を否定されているところから、浄土真宗育ちの私は家族もそうであるように厄年などは特に調べたこともなく、別段気にもならず。
結果、その年に事故も病気もなく、静かに過ぎていきました。
そして、
なんと、知人曰く、過去三年間大殺界と。それも私の知らぬまに過ぎ去るという… 知らぬが仏
これから当分上向きという
いつも南無阿弥陀仏のものの見方に支えられていたからな。
ただ、ひとつだけ、大殺界ではない年、大切な人との別れがあると言われた年に、父が亡くなりました。当たったといえば、確かにそうでした。
悲しかった。
これまで経験した中で、一番の悲しみ。
父が、私のなかで、これほど大きな心の支えとなる存在だったとは知りませんでした。仏のような人でしたから。賢いのに、どこまでも人に優しい人。
生きていたときには、気づかなかった…。何のために仏教を勉強していたのかと。あまりにもバカなわたくし。
話を戻して、と。
一つぐらい何かは当たるだろ
確率はかなり低いけど
ということで。
知らなければ、
意識しなければ
当たらないということか。
「○○○○○を考えないように」といえば、○○○○を意識し、考えてしまうのが人。
それよりも
今、できることに集中し、
見たい世界を意識していこう
釈迦はいう
「この世は心に基づき、心を主とし、心によって創りだされる
もしも清らかなこころで話したり行ったりするならば福楽はその人に付き従う」
「こころに従わず、心の主となれ」
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