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YUUKO MORIUCHI

人生を楽しむためには、先に与えること

更新日:10月31日

人生を楽しむために

仏教でも、また友人と話しても出てくる答えは

「先に与えること」。

友人らは布施の精神が高いのなんの。



さて、

昨日は仕事が終わって夕方から、母の時代(先代)から仲良くさせて頂いているお寺さんへ。県内あちこちで、東京から地元へ戻られる方々がまた奈良を光らせます。素晴らしいこと。

新住職夫妻も、春にお寺へお戻りになり、2ヶ月に一度、手料理でおもてなし頂く。今夜も亡き前坊守であるお母様の食器類が並びます。

私は手土産にノンアルビールやwineをもって。お話しが弾み、夜遅くに、帰宅しました。

お知り合いとの調った時間は、変化の多い時代の渦に巻き込まれないためにも私にとっては貴重で、大変豊かな時間です。



本日は、午前中のお参り後、奈良市のお寺さんへお仕事のご挨拶。ついでにお茶屋さんへもお煎茶をまとめ買いしに。外国人も相変わらず抹茶を買っていました。穴場のこじんまりとしたお茶屋さんでしたが、抹茶の販売で賑わって。


大学時代の友人にも、近況報告がてら会えました。12年前は大阪 靱公園近く本町にあったレストラン。それが移転されて奈良市に。店内も、ソムリエさんも、シェフのお料理も、一つ一つに丁寧さが感じられて、美味しく、心地いい。私が今一番欲していることは

丁寧さ。評判通り見た目もお味も大満足でした。こちらのお店は以前着付け教室でであった年下のお友達にオススメと教えてもらって。

東向北商店街、ステキなお店が多かった。奈良観光大使さんにも偶然あえて、他にもイケテるお店を教えてもらいました。


同世代の近況報告は、旅行の話題もさることながら、親の介護と「老」の話が増え、特に最近のテーマは自らの「老」をいかに上手く楽しむかについて。

内側から美しく老いるとは、と。

こころの弾力、豊かさ。


釈迦はいいました

「頭髪のしろきの故をもって長老にあらず 彼の齢はいたずらに過ぎ去るのみ 彼はむなしく老いた者と称せられる」

なかなか厳しい事実です。



最期の最後まで

老いて

たとえ病になり

大切な人との別れがあっても

命の経験としてその時期に起こる現象の意味を味わいながら、逞しくしなやかに生きる。

なんて、理想です。


友人らと話すキーワード、

「先に与える」

ことを念頭に置いて、今の役割を果たしましょう。

この道は、多くの人たちの支え、お陰さまであったからこそ。忘れたらあかんな


夜はzoomで仏教の勉強会でした。





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