コロナ禍であっても、七日毎にマスク着、換気十分にして、正信偈や、阿弥陀経のお勤めも一緒にされる。集まりも結構ある。
法話も丁寧に聞いてくださって、そのあとのお念仏の声、力のこもった「なまんだーぶ」の声を聞くときは、私が感動させられる。ああ、ここに仏の光(智慧)が、今、届いて(慈悲)いるのだなと。有り難くて涙がでる。
阿弥陀如来の救いは、善悪超えて、無分別智で、ただただ、それがありがたい。すべての「私」、それぞれが、生きていてよいのだという「居場所」と「安心」を与えてくださる。揺るぎない、煩悩の火が消えた、「静」の境地がそこにはある。
抜苦与楽の仏法、凡夫(悪人)往生の親鸞聖人の教え、これしか、人は深いところから救われないのではないかと、また最近つくづく思う。
私が救われていると思えるから、そうなるのだろうけれど。
阿弥陀如来にしか、完璧なSDGsは、できませんね…
それを目指すことは、もちろん、「人として」基本大事です。
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