オープンお朝事で、誰よりも一番清々しい効果を得ているのは、実はこの私。
扉全開し、冷え澄んだ堂内で、蝋燭のみの灯りのなか、15分ほど読経に集中。
一日一回なんとも言えないこの神聖な時間にはまっている。
無始より続く、明け方に強くなる漠然とした人間としての不安が、これで一気に一瞬だけ晴れる。
宗教法人が非課税なのは、本来の意味とは違うけれど、
身近に頼れる精神回復施設で、人間の精神衛生上、非課税にしてでも維持しなければならない価値ある場所と、理屈じゃなく、昔から認知されているからなんじゃないの、なんて。
シンプルに、永く続くものに畏れ、敬い、委ねて、赦されて、
思わず手を合わしてしまう。
この謙虚になってしまう感覚(宗教心)がないと人生は病んでしまうだろう。人間の具える闇に取り憑かれて。
数百年の伝統を醸し出すこの空間で、数十年しか生きていないちっぽけな私は毎日気持ちよく制圧され。お内仏とはまた違う。永い歴史のなかで、手を合わせて来た多くの門徒や僧侶の念仏の層がここにはあって、この空間には重みを感じる。そして、この重みこそが程よく私を修めてくれる。癒されるというより、この神聖な圧によって、毎日気持ちが引き締められている。こころと頭で、正しい方向を確認す。全体の利益を考える方をむく。
有り難いのです。これがご利益なり。
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